こんにちは。Kotoyogaのkotomiです。
今回は日本と中医学の関係について書いてみました。
中医学は日本へいつ伝わり、どのように広まったのでしょうか。
その歴史は5世紀まで遡ります。
古代中医学は中国から朝鮮半島へ伝わり、やがて日本へ渡ってきました。
7世紀には中国へ派遣されていた遣隋使や遣唐使が中医学に関する書物を持ち帰り、正式に日本に根を下ろすことになります。
▼目次
日本に根付いたのは「漢方医学」
子どもは親の真似をして、徐々に独自の個性を発揮していきますね。
日本も最初は大陸から持ち帰られた書物を参考に、中医学の真似をするところから始まりました。
その後、日本の風土、日本人の体質に合わせ、その内容は独自に発展していったといいます。
しかし江戸時代に日本が鎖国をはじめると、当然大陸との国交がなくなり、それ以降は大陸からの中医学に関する情報は途絶えてしまったといいます。
そのため、現代の日本では近代中医学の方剤(漢方)はあまり反映されておらず、鎖国前に伝わった古代中医学から伝わる薬が多いといわれています。
ちなみに、方剤の種類は現在日本で200種類ほどあるのに対し、中国では数万種以上の方剤が使われているそうです。
私の中医学の先生も、漢方のアドバイスをくれる時に、「〇〇っていう漢方がいいのよ!でもこれは日本にはないのよね」なんてよく言っています。
さて話は逸れましたが、日本に蘭学が伝えられた頃から、西洋の薬「蘭方」と区別をするため、漢から伝えられた薬は「漢方」という名で呼ばれるようになりました。
その頃には、中医学は日本の風土、日本人の体質に合わせて変化・発展し根付いていたので、漢方医学はまさに日本独自の医学といえると思います。
▲目次にもどる
伝統医学として追いやられた漢方医学
明治になり、当時の政府による西洋医学中心の新しい医制改革により、漢方医学は伝統医学として脇に追いやられることになります。
そのため、徐々に日本では影を潜めてしまいます。
10年前、20年前の日本を思い出してください。東洋医学、漢方と聞いたら、なんとなく「怪しいもの」と思いませんでしたか?私は思っていました(笑)。
今でこそ「中医学」「東洋医学」の名前は色々なところで見聞きするようになりましたが、実際は「よく分からない」のが正直なところでしょうか。
体には優しいような気がするけれど、難しそうだし、効き目もよく分からないから、やっぱり西洋医学の方が安心かしら…、そんな方も多いと思います。
それでも、一部のお医者さんや薬剤師さんのおかけで、漢方医学は民間レベルで細々と生き続けてきました。
▲目次にもどる
婦人科系のトラブルで見直された漢方医学
明治以降、ちょっと悲しい運命を辿った漢方医学ですが、昭和に入り、その存在にまた少しずつ光が当たるようになりました。
その理由が婦人科系のトラブルによるものです。
女性の「冷え」や「生理の問題」で漢方が見直されるようになりました。
西洋の薬では女性特有の問題は改善しづらく、漢方の方が良い結果を得られる…と分かり、それまで脇に追いやられていた漢方はやがて医療用として保険適用になり病院でも処方されるようになりました。
▲目次にもどる
女性は「肝」を先天とする
婦人科系のトラブルで漢方が見直された理由は、その考え方がとても理に適っていることからも分かります。
中医学では「肝」は血にとても深く関係する五臓といわれます。
その働きの一つは「蔵血」血の貯蔵です。
女性は生理・出産があるので、常に血を補わないと肝機能が落ちてしまいます。でも現代の日本ではあまり生理前後や妊娠・出産の際に血を補うという習慣はありませんね。
そのため多くの女性が貧血傾向で冷え性・低体温です(血が足りないと体温は下がります)。
また、血不足は精神的ダメージや情緒にも大きく関わっているといいます。
閉経を迎える更年期の女性に多いのが、更年期障害といわれる情緒不安や鬱っぽい症状、火照りなどです。
実は漢方の方剤には、そんな症状にぴったりのものがあります。
それは2000年以上前から存在する方剤です。
どんな生薬が入っているかというと、血を補う作用があるもの。
大昔から女性の体は変わらず「肝を先天」とし、たくさんの血を必要とする生命でした。
そして血が足りなくなることで起きる症状と、それを緩和させるために必要な生薬を先人たちは何千年も前から知っていたのです。
▲目次にもどる
さて、いかがでしたか?
中医学、すごいですよね。
中医学に興味があるけれど、なんだか難しそう…。
独学しようとしたけれど、挫折した。
何から手をつけていいか分からない!
そんな方は、ぜひKotoyogaが主催する「やさしい中医学入門WS」にお越しください。陰陽五行の基本的な考え方から生活に取り入れやすい各季節の養生法まで、初心者の方にも分かりやすくお伝えしています。