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2020年「コロナ」とかけて「ヨガ哲学」と解く

こんにちは。Kotoyogaのことみです。

2020年の漢字は「密」だそうです。呼びましたか?笑 今年はコロナで始まり、コロナで終わる。そんな1年で、日常生活でも大きな変革の年になった方も多いと思います。

#コロナに負けるな?

今年、SNSで「#コロナに負けるな」というハッシュタグをよく見た印象があります。

「早くコロナが収束して欲しい」、「また人々が交流できる世の中がきてほしい」というのは、誰もが持つ素直な願いだと思います。ただ、表面的なことに囚われすぎて、とても大切なことを見逃している気もするのです。

ヨガ哲学を通して、コロナウィルスとの付き合い方、向き合い方を考えてみたいと思います。

人間が解明できるのは全体のほんの1%

ヨガの聖典では、人間は「世界の仕組みを解き明かすための道具(プラマーナ)」を3つ持っていると言います。それは

  1. 五つの感覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)
  2. 考え(思考・推理)
  3. 聖典

最初の2つ、「五つの感覚器官」と「考え・推理」を駆使して、人間が認識の世界を広げてきたのが「科学」の世界です。

実際、ノーベル賞を受賞するような宇宙の法則を発見した偉大な科学者たちは、歴史上たくさんいます。しかし、その科学者でさえ「人間が解き明かすことができるのは『全体宇宙のほんの1%』に過ぎず、残りの99%が人間の認識が及ばない『ダークエリア』だ」といいます。

では、その残りの99%を解き明かすために、何が必要なのか。それが3つ目のプラマーナ、「聖典」です。聖典は哲学と違い、人間の解釈によって作られたものではありません。それは宇宙の法則が示された「音」の集まりと言われ、「リシ」と呼ばれる聖者たちによって、古代から明らかにされ、大切に残されてきたもと言われます。

一つとして矛盾点があれば、「聖典」の教えとして組み込まれなかったほど、厳選された教えの集まりです。例えば10人のリシが瞑想で明かしたものも、そのうち一人でも違うことを言えば、他の9人が同じことを言っていたとしても、法則として認められなかったそうです。一つの矛盾点もない、完璧な法則。それが聖典が明かす宇宙の法則と言えます。

そんな聖典の中に、科学で解き明かすことのできない問題の答えを見出そうと、その道の権威たちの多くが、聖典の学びを求めて伝統的なアシュラムへ赴くといいます。

失敗も成功も同じに見える見方

その聖典が、何を言っているかというと、例えばこんなことがあります。

小さな小さな認識の中で、私たちは、時に成功に舞い上がり、時に失敗に落ち込む日々を送ります。しかし聖典では、成功も失敗も全体宇宙の視点からは、どちらもそれ以上ない良い結果「プラサーダ(贈り物)」だというのです。

例えば、階段からお気に入りのおもちゃを落としてしまった小さな赤ちゃんがいたとします。その赤ちゃんは落としたおもちゃしか目に入らず、頭から階段を降りようとします。

それを見た母親は、慌てて赤ちゃんと抱き上げるでしょう。

赤ちゃんは「おもちゃを取りにいく」という目的に失敗したと思い、大泣きします。

反対にお母さんは「我が子が怪我をせずに済んだ」と安堵します。

赤ちゃんが人間だとすれば、母親はもっと視野の広い大宇宙。

人間にとって、不快なことや大きな妨げとなるような出来事も、実は全体宇宙からは贈り物であるというのです。もしこれが本当なら、全ての出来事は必要があって起きていると捉えることができます。

調和と不調和を識別する生き方

他の生き物より少しだけ知的に進んだ人間ですが、それでも無知がゆえに全体が見えず、妄想に突き進んでしまいます。その結果が、戦争や環境破壊といえるかもしれません。

ヨガの聖典では、宇宙はいつも調和の中にあると言います。

自然界、動物、植物、昆虫、ウィルスも、全ては調和(ダルマ)の中にあります。

それに対して、私たち人間だけが調和(ダルマ)と不調和(ダルマ)を選択する自由意志を与えられているのです。

ダルマを生きるとは、周りと摩擦することなく、人間も、動物も、植物も、地球も、誰もが傷つかない行いを選択して生きること。それがヨーガの生き方です。

コロナはプラサーダ!?

今年のコロナ禍で、インドのヨーガアシュラム(寺院)ではこんなシュローカ(祈りの詩)が毎日唱えられていたと言います。

おお、女神よ、母なる地球よ

私たちの献身にあなたが満足しているなら

あなたは私たちの病気を完全に破壊します。

しかし、私たちの利己的な振る舞いにあなたが怒っているなら

あなたは私たちの全ての野心とその目的を破壊します。

「伝染病をしずめるためのチャンティング:ドゥルガーサプタシュローキー」より

スワミチェータナーナンダジ訳

破壊すら、宇宙からの愛だといいます。

今年、たくさんの人が使った言葉。

「コロナに負けるな」

私たちは何と戦っているのでしょうか。

すぐ目の前にある脅威や大きな妨げに自由を奪われ、そのことだけに必死になっているとすれば、少し落ち着いて「人間」としての行いを振り返ってみる必要があるかもしれません。

行き過ぎた開発、食料調整、環境破壊…、周りと憎しみ合い、不平不満を重ね、自己尊厳を失うなど、無茶を続ける子供のような私たち人間。その私たちを深い愛で包む宇宙、母なる地球に対して、私たちができる貢献とはなんでしょうか。

けして、目先のコロナウィルスを憎んだり、戦うことではないはずです。

コロナウィルスは私たちにたくさんの気づきを教えてくれている気がします。実際、この一年で、周りの人たちの繋がりを取り戻し、人の優しさや、本当に大切なものに気づくことができた方も多いと思います。それこそが「プラサーダ」と言えるかもしれません。

感染拡大を防ぐための努力は必要ですが、人間としての役割はもっと他にありそうですね。

調和を生きる

祈りと考えを巡らせて、日々の行いをします。

いつも調和を選択できますように。そのために、無知を落とし、調和(ダルマ)と不調和(アダルマ)を識別する知恵を得ることができますように。

2021年、世界が平和であることを祈ります。

Let Isvara go.

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